事業承継におけるM&Aの活用
事業承継の必要性
戦後の日本経済の復興期において多くの中小企業が設立され、日本の経済発展に大きな貢献をしてきました。多くの中小企業の経営者はこのような経済環境のもとで、暖簾分けや先端技術をもとにした技術開発を中心として会社を設立し、事業を発展させてきています。ところが戦後70年を経過し、多くの経営者は70代、80代と高齢化しており、現在のままでの経営を継続するのが困難な状況となっています。栗林総合法律事務所にも70代後半や80代の経営者が相談に見られることも多くあります。
もちろん息子さんが会社の承継を行う場合には、問題が少なく、実際にも家族の誰かが会社の承継をするケースは多いと思われます。しかし、息子さんが一流企業に勤務している場合や、医師や弁護士などの専門資格を有して社会で活躍している場合は、これらの仕事をやめて会社の承継を行うのをためらうこともあります。また、経営者の側でも現在のような不安定な経済状況の下で、息子さんに事業の承継を強制することについては、逡巡されるのではないかと思われます。
マネージング・バイアウト
家族の間に事業を承継してくれる人が見つからない場合には、会社の役員や従業員などで会社の中心となって働いてくれた人に代表者になってもらい、会社を承継してもらうということも選択肢となります。このような形での事業の承継をMBO(マネージング・バイアウト)といいます。但し、中小企業にとっては役員や従業員による事業の承継には次のような問題があります。
後継者の不存在
現在では、会社の設立後10年以内に、およそ9割の会社が倒産しまたは会社を閉鎖しているといわれています。長期にわたり事業を継続してきた会社の設立者(ファウンダー)は、かなりの才覚をもって会社のかじ取りをしてきたものと思われますが、同様の役割を従業員に期待するのはかなり酷なことに思えます。もちろん大企業の下請けとして安定した収入を得てきた会社も多いと思われますが、大企業であっても経営危機に瀕する時代ですので、いつ下請け契約を切られるか分からない時代になっています。また、私達のお客さまでも、派遣法の改正など法律が改正することによってそれまで行っていた仕事がいっぺんに存在しなくなり、注文がなくなってしまうという例もあります。
また、特定の企業との取引が大きい場合には、その会社が倒産したり、経営不振によって注文をいっぺんに減らされたり、取引条件を極めて厳しいものに改定するよう要求されたりすることもあります。たとえ大企業の下請けと言っても必ずしも安定した状況にあるとは言えません。これからの経営者には、取扱い分野の動向を把握し、新規顧客を獲得し、必要に応じて業務の転換を行うなどの難しい判断が求められます。また、コンプライアンスの厳しい時代ですので、外部はもちろん会社の内部に対してもしっかりとした目配りを行い、法令を順守し、時にはリストラクチャリングなど厳しい判断を勇気を持って行うことが求められることにもなります。運よく会社の内部からこのような人を輩出することが出来れば好ましいですが、財務の知識を有して計数にも強く、経営をしっかりと行っていってくれる人を探し出すのはかなり困難な作業となります。
代表者の個人保証の問題
日本の会社では、経営者が銀行からの借入を個人保証しているケースがほとんどで、代表者が交代した場合には、新しい代表者が銀行取引約定書を再度締結し、会社の借入について連帯保証を行う必要があります。従前の役員や従業員で会社の内容をよく知っているという人であっても、数億円の債務の負担を行うことについては、躊躇せざるを得ません。
また、仮に役員や従業員が会社の社長になって連帯保証債務を承継してくれたとしても、従前の経営者が負担している連帯債務がなくなるわけではありません。裁判例においても、経営者が交代した後に発生した新規の借入については従前の連帯保証契約は及ばないが、経営者がいたときに発生した債務については、たとえ代表者が交代した後であったとしても、従前の代表者が連帯保証債務を負うとの判断がなされています。もし代表者の交代をした後、数年後に新しい代表者の経営がうまくいかず会社が倒産する事態になれば、銀行は従前の代表者に対して債務の支払いを求めてくることになりますし、従前の代表者の自宅に抵当権が設定されている場合は、抵当権の実行により従前の代表者が自宅を失うことにもなりかねません。代表者の交代の際に従前の代表者について連帯保証債務をはずすよう金融機関に掛け合うことも考えられますが、通常金融機関はこのような依頼になかなか応じてくれません。従前の代表者としては、代表取締役の交代を果たしただけでは安心して老後を迎えることはできません。会社の経営者としては会社代表を退任した後も何年もの間会社の経営が順調に続くかどうかを心配し続けなければならないことになります。抵当権や根抵当権の抹消だけでも金融機関と交渉しておく必要があります。
株式の買取代金の調達
会社内部の役員や従業員に会社を承継してもらう場合に更に問題となるのは、代表者の株式の買取代金をいかに調達するかということです。会社が長く継続している場合には、内部留保がたまり、株式の買取価格もかなり高くなっている可能性があります。もちろん、内部の役員等への譲渡になりますので、従前の経営者としてはかなり割り引いた金額での承継を提案することになると思われますが、それでも多くの事例では株式価格が数億円に上ることがあり、内部の役員や従業員がこれらの資金を調達することが難しいこともあります。
最近では、いくつかの金融機関が事業承継の手助けを行うために、買収ファンド(MBOファンド)を設定し、株式の買取資金を融通する事例も見られるようになりましたが、MBOファンドによって資金の調達ができるのは会社に無担保または担保余力のある不動産がある場合や、多額の現金が会社に留保されている場合であって、何も資金の裏付けのない状態でMBOファンドが利用できるわけではありません。
M&Aによる問題の解決
このように事業の承継にはかなりの問題が多くありますが、M&Aを使う場合には上記の問題が一気に解決されることになります。中小企業のM&Aを行う会社は多くの場合同種の商品を取り扱う競合会社であったり、新規事業への進出を計画する会社であったりしますが、それなりの買収資金を有しているか、金融機関からの借入により買収資金の調達ができる場合に限られます。また、事業の承継会社や株式の購入会社自体が金融機関との取引を行っているのが通常ですから、譲渡会社が負っている現在の借入債務については、買収資金などによっていったん全額清算する(支払いを完了する)のが通常であり、連帯保証債務が存続することを心配する必要もなくなることになります。また、会社の買収を行う経営者自身これまで会社の経営を行ってきたわけですので、事業の承継により従業員の雇用を維持することができるなど将来の経営への心配もかなり少なくなることになります。
M&Aのタイミング(オーナー経営者のやめ時の判断)
M&Aが事業承継において重要な選択肢であったとしても、どこの会社でもM&Aにより会社の売却ができるというわけではありません。M&Aにはタイミングが極めて重要で、このタイミングを逃すと会社の売却の機会はほとんどなくなり、最後には会社の閉鎖や倒産を招く事態も考えられます。経営者からすれば会社を辞めるかどうかを判断するわけですので、様々な経営判断の中で最も重要かつ難しい判断の一つとなります。そこで私達が取り扱った事例の中でどのような場合にM&Aが可能であるかを見てみたいと思います。
内部留保のある会社
1つはこれまでの長年の事業の中で多額の内部留保を確保している会社です。経営者が高齢で、健康上の理由から会社での活動が難しくなりましたが、幸いに会社には数億円の内部留保があり、多額の現金を有していたことから、金融機関などの紹介で上場会社への事業の承継ができました。この事例では、経営者自身も多額の株式売却益を手にすることができ、老後の安定資金を確保することができただけでなく、買収した会社にとっても対象となった会社が有していた優良顧客を獲得することができ、地域的にも手薄であった市場に新たな拠点を築くことができました。また、従業員にとっても大手企業の傘下に入ることで、大手企業のグループ会社の一員となり待遇の改善や長期の安定した雇用が確保されることになりました。もちろんこのような事例は極めて幸運な事例かもしれませんが、M&Aによる事業承継が最も有効に機能する場面でもあります。
優良な顧客ないし技術を有する会社
優良な顧客や特殊の技術を有する会社もM&Aの対象としてふさわしい会社になります。買手企業(買収を行う会社)は同業者などであることが多いと思われますが、買収する会社からすれば、買収資金という確定した金銭により、通常得ることができない顧客を獲得し、事業の拡大を図ることができることになります。M&Aは時間とスピードを買うことであるといわれますが、買手企業からすれば、新規顧客開拓の手間や技術開発などの時間と手間を省くことが出来るわけですから、まさに時間とスピードを獲得することになります。新規の事業を行うことや新規顧客を開拓するためには、その実現可能性があるかどうかが判明しない中での投資を行うことになりますので一定のリスクを背負うことになりますが、M&Aで会社を買収する場合には、既に確定した顧客や安定した売り上げ、商品化された技術などが存在するわけですので、新規投資のリスクをかなり軽減できることになります。
市場の独占・寡占によるメリット
また、同業者による買収においては、市場の独占ないし寡占のメリットも得ることができることになります。例えば、世界に3社(A社、B社、C社)しかその該当製品を販売している会社がない中で、A社がB社を買収する場合には、世界の市場にはA社製品とC社製品しかなくなるわけですので、過度の競争によるダンピングなどもなくなり、価格が安定し収益力が著しく増す可能性もあります。もちろん、当該製品を取り扱う会社が世界に3社しかない場合には、独占禁止法による制限も出てきますが、極めてニッチな市場においては実際には、市場の取り方如何により競合社の数を多くみることも可能であり、独占状態にあるかどうかは必ずしもマーケットシェアだけでなく、市場規模なども考えて判断されることになりますので、直ちに独占禁止法に違反するということにはなりません。中小企業の場合、世界的規模でのマーケットの寡占という問題は起こらないかもしれませんが、例えばこれまで相見積もりをいつも出している会社があり、互いにダンピング合戦をしていたような場合には、一方が他方を買収することで、ダンピングを回避し、価格の安定を図ることも可能となります。また、限られた狭い地域にスーパーや歯科医が何店かある場合に、その一つを買収できた場合には、それだけ競争が少なくなり、過度の競争を回避できるという効果も考えられます。
債務超過の場合
栗林総合法律事務所で従前扱った事例では、赤字が何年も継続しているものの、まだ従前の内部留保を取り崩すことで事業を継続できている会社がありましたが、このような会社については、優良な顧客や特殊な技術を有する場合にはM&Aの対象となることがあります。しかし、赤字がさらに継続し、債務超過となった場合には、M&Aの対象になるのは難しくなってきます。もし経営者が債務超過になる前に適切なタイミングでM&Aの決断を行っていれば、事業を継続し、従業員の雇用を確保し、経営者にも一定の老後資金が確保できたにも拘わらず、M&Aのタイミングを逃したばかりに会社が破たんし、従業員を解雇せざるを得ず、経営者も連帯保証債務の支払により自宅を失うということになりかねません。当事務所で扱った案件の中でも、1年前にM&Aを検討していれば数億円での売却が可能であったにもかかわらず、M&Aの検討開始が1年遅れたために、従業員の離反を招き、会社が破産せざるを得なくなったという事案があります。経営者としては、M&Aの判断のタイミングを間違っただけで、その後の人生に大きな違いを生じさせることになってしまいました。
もちろん、債務超過の会社であっても、経営上の問題がありそれを改善することで収益性を確保できる場合には、経営上の問題解決に自信のある経営者は他社を安く買収できる機会であると判断する可能性もあります。また、会社全体としては赤字会社であるが一定の事業部門については利益を確保できている場合には、会社分割や事業譲渡の方法によりその事業部門のみを売却するということも考えられ、この場合その事業部門に属する社員の雇用が確保され、売却代金で会社の債務を返済するなど負担軽減措置を講じることも可能となります。
このように会社が債務超過の場合であってもM&Aによる会社の売却が出来なくなるわけではありませんが、実際上買手会社の探索は難しくなり、買収価格も低廉となる可能性が高いと言わざるを得ません。現在中小企業においてはおよそ7割の会社が経常利益段階で赤字であるということであり、会社の経営者としては、いつか売り上げが回復するとか新規事業で利益を得ることができると考えがちで、経営者の個人資産を会社に入れて会社の存続を図ることが多くありますが、会社が債務超過に陥る可能性がある場合には、事業継続の可能性に赤信号(少なくとも黄色信号)がともっているわけですので、是非ともM&Aによる会社売却の可能性についても検討される必要があるのではないかと思います。
企業法務の最新情報をお届けする無料メールマガジン