M&Aにより事業承継を成功させた事例
事業承継におけるM&Aの活用
M&Aを有効に活用することで会社の継続可能性を高めることや、新規事業へのリスクのない投資が可能となったりします。また、経営者からすれば会社の譲渡により事業承継を成功させ、将来の安定した生活資金を得ることができます。M&Aが実際の現場でどのように行われており、それによってどのような成果が得られるのかを見てみたいと思います。なお、下記の事例はM&Aの理解を得るために一般的なテキストで説明される事例をもとに仮想したものであり、貸借対照表上の数字も理解を得るために簡明にしたものであって、現実の事例ではありません。
M&Aの背景
千葉県の郊外にあるA社は特殊なプラスチックの成形加工を専門とする会社で、社歴が40年を超え、金型技術に優れ、特殊加工に専念していたことから、一流企業を始めとする優良企業との取引が中心となっています。会社の代表者は30代で会社を設立し、その後40数年ずっと社長を務めていましたが、高齢で毎日会社に勤務することが難しくなり、また会社の将来を考えて事業を承継してくれる人を探していました。社長には子供がおらず、身内で事業を承継してくれる人は見当たりません。また、社員はアルバイトを含め20名程度で実直に仕事をこなしてくれていますが、重大な責任を負う代表者への就任を希望する人はおらず、実際にも社員による事業の承継は困難であると思われます。
財務内容
A社の売上は数年前までは15億円程度でしたが、長引く不況と中国製品との競合などによる価格崩壊の影響を受け、近時の売上高は10億円から12億円の間にとどまります。また、バブル経済崩壊後も経費削減や新規顧客開拓を含む経営者の手腕によって何とか黒字を維持してきていましたが、ここ3年間は毎年経常利益の赤字を計上しています。A社のバランスシートは次の通りです。
流動資産5億円 流動負債5億円
固定資産8億円 固定負債7億円
その他資産2億円 資本の部3億円
資産合計15億円 負債・資本合計15億円
流動資産には現預金3億円のほか、売掛債権1億円、在庫1億円があります(現実にある会社でいれば現預金がもう少し小さく、売掛債権と在庫がもう少し大きくなるのが通常ですが、ここでは計算を簡明にするためこのようにしています)。固定資産は、工場の土地建物がほとんどで、最近の地価の下落状況から含み益はほとんどありません。流動負債は製品原材料の仕入れによるものと金融機関への直近の返済1億円があります。固定負債は取引先の金融機関からの借入5億円と役員等退職金引当2億円によるものです。最近の赤字に拘わらず、従前の内部留保がありましたので、まだ資本の部には3億円程度計上されていますが、今後も継続して赤字が生じる場合には、利益準備金を食いつぶしてしまう可能性も考えられます。
買収の申入れとデューデリジェンス
A社に対して同業のB社から5億円での買収の申入れがありました。A社の帳簿上の時価純資産価格は3億円ですので、営業権として2億円を見込んだことになります。A社の社長は自分の年齢を考えたときに今後これまでと同様に事業を続けていくことは難しいこと、B社の傘下に入ることで、会社の継続性は増し、従業員の雇用の確保ができると見込まれることから、会社の売却を決断しました。
B社からは、A社のバランスシート状の財務内容は把握しているものの、実体との食い違いを確認するためにデューデリジェンスを行わせてほしいとの提案があり、公認会計士と弁護士による会計及び法務に関する買収監査(デューデリジェンス)が行われました。その結果、不動産については不動産鑑定士による鑑定評価を取得し、帳簿価格と鑑定評価額はほとんど変わらないことを確認しました。また、在庫、売掛金については、実際の評価が難しいことから、売買価格の一部5000万円をエスクロー口座に入れ、半年後に売掛金の回収不能、不良在庫の存在などが判明した段階で、その金額を売買代金から差し引くことの提案がありました。また、従業員の退職金については、即時に全員が会社都合により一斉退職したと仮定した場合の退職金の半額(5000万円)を要積立額とみて、現実の積立額4000万円との差額1000万円を簿外負債とみることにしました。
その結果、純資産については、3億円から従業員退職金の積立不足1000万円を控除した2億9000万円と見込み、営業権2億円を合わせた4億9000万円を株式の買取価格とし、そのうち5000万円をエスクロー口座に入れるということになりました。また、会社の代表者には上記とは別に役員退職金規定に基づき役員退職金1億6000万円が支給されることになります。
役員退職金についての考え方
代表者はこれまで月額200万円(年収2400万円)の報酬を受領していましたが、役員退職金規定では月額報酬×就業年数が基本とされ、3倍までの範囲で功労加算が可能とされています。従って、役員退職金規定の上限は、月額報酬200万円×就業年数40年×功労加算3=2億4000万円となります。そこで、税理士とも相談の上、買主から支払われるべき金額と退職金を合わせた金額(株式買取価格4億9000万円+役員退職金1億6000万円=6億5000万円)のうち、2億4000万円を役員退職金とし、株式の売却価格を4億1000万円とすることを提案しました。このような提案をした理由は、本件のように代表者が長期にわたり会社を経営してきた場合、通常株式の譲渡益課税(売買価格から取得原価を控除した残額の20%の分離課税)の税率よりも、退職金に課せられる税率の方が低くなるためです。
A社代表者による上記提案はB社にとっても必要となる資金に相違がないものであり、判例上も役員退職金の功労加算を3倍とすることについては税務上も問題がないこと(功労加算は退職金規定に基づきますが3倍から3.5倍程度は判例上問題ないとされています)、エスクローを含めて他の条項について買主の提案に了解するものであることから、B社代表者の了解を得ることができました。中小企業のM&Aにおいては、役員退職金と株式価格の調整はよく行われているところです。
このような経過を経てA社代表者が所有するA社の株式をB社に譲渡することの合意が成立し、株式譲渡契約書が締結されました。なお、金融機関からの借入のうち短期借入金(流動負債)1億円と長期借入金(固定負債)5億円については、A社代表者の個人保証が付され、A社代表者の自宅が担保に入れられていたことから、B社において一括返済または金融機関の了解のもとに保証債務を解消することが合意されています。
その後半年が経過し、エスクローの清算がなされることになりましたが、B社代表者からは、売掛債権の回収不能と不良在庫が発見され、またキーマンとなる従業員の退職が生じたことから、当初の想定と異なり6000万円以上の損失が生じたため、エスクローの残代金は全額B社において取得したいとの話がありました。A社の元代表者とB社代表者がその後協議を続けた結果、売掛債権回収不能分と不良在庫の調整金を4000万円とみることで合意し、1000万円をA社の元代表者に交付することで合意されました。
M&Aによる事業承継の結果
このような経過を経て無事にM&Aが終了することになりましたが、上記の事例においてA社の元代表者とB社においてそれぞれどのような結果になったかを見てみたいと思います。
A社代表者の手取り金額の計算
株式の売却代金4億1000万円のうち株式取得原価が1000万円ですので、代表者の譲渡益(キャピタルゲイン)は4億円となります。株式譲渡益については申告分離課税で20%の税率が適用になりますので、税金は8000万円となります。その後、エスクローに入れた4000万円が譲渡価格から控除されることになりましたので、A社代表者の譲渡益は3億6000万円となり、株式譲渡税は7200万円となり、A社代表者は修正申告を行うことになりました。結局株式譲渡益に関するA社代表者の手取り金額は、3億6000万円+1000万円(株式の取得原価部分)-7200万円=2億9800万円となります。
また、役員退職金2億4000万円については、退職所得控除があり税率も低くなりますので、最終的には18%の税率となり、所得税及び住民税を合わせた税金の額は4320万円(約4000万円)となりました。税金を控除した後のA社代表者の手取り金額は2億4000万円-4320万円=1億9680万円となります。
従って、株式譲渡による手取り金額2億9800万円と役員退職金の手取り金額1億9680万円の合計4億9480万円が最終的な手取り額となります。なお、実際には、M&Aの仲介会社や弁護士・会計士などの専門家の協力を得ることになりますので、これら専門家の報酬(プロフェッショナルフィー)を考慮する必要があります。M&Aの仲介会社の報酬についてはレーマン方式により、弁護士・公認会計士の報酬については固定フィーまたはタイムチャージによることになりますが、全部を合わせて取引価格の5%から8%程度を想定しておく必要があります。
A社代表者としては、手取り金額で約5億円の資金が手元に残るわけですので、住宅ローンの返済や自宅の改修工事などを行っても十分な老後資金が確保できたことになります。A社が好ましい条件で売却できた原因は過去の蓄積による十分な内部留保を有していたこと、特殊な技術や優良な取引先によって他社から魅力的な会社として評価してもらえたことによるものです。しかしながら、もし赤字のまま会社の経営を継続し、債務超過となった場合には、上記のような提案がなされる可能性があるとは必ずしも言えません。万一事業の承継が出来ず会社を清算することになれば、在庫の評価は著しく低減し、多額の清算費用を要することになりますので、数億円の債務超過の状況となり、退職金の支給がないことはもちろん、担保に提供している自宅の所有権も失うことになりかねません。M&Aの判断はタイミングが極めて重要であることがお分かりいただければと思います。
M&Aによる対象会社への影響
B社による株式取得によりA社はB社の完全子会社(100%子会社)となりますので、B社及び買収後のA社の内容についても確認しておく必要があります。
買収時において金融機関からの借入金6億円(長期借入5億円、短期借入1億円)については、B社が代位弁済しており、その分だけ負債の額が少なくなっています。また、A社の資金から役員退職金2億4000万円を支払っていますので、A社の現金はそれだけ少なくなり(3億円-2億4000万円)、流動資産としては、現預金6000万円、在庫1億円、売掛金1億円となって、流動資産の合計は2億6000万円となります。また、固定負債の内、役員退職金引当金については、下記の通り役員退職金が支払い済みとなりますので、役員退職金引当金の全額を取り崩すことになります。その結果、買収後におけるA社のバランスシートは、次のようになります。
流動資産2億6000万円 流動負債4億円
固定資産8億円 固定負債6億4000万
その他資産2億円 資本の部2億2000万円
資産合計12億6000万円 負債・資本合計12億6000万円
上記の内、固定負債については、金融機関への借入金5億円の返済を行いますが、親会社(B社)から金融機関からの借入金返済資金(短期借入金1億円と長期借入金5億円の合計6億円)を新たに借り入れることになりますので、その分6億円を固定負債に計上しています。また、従業員退職金引当金4000万はそのままですが、代表者への退職金は支払い済みですので、固定負債の内役員退職金引当金1億6000万円については全額が取り崩されることになります。資本の部が3億円から2億2000万円に8000万円少なくなっていますが、これは役員退職金引当金が1億6000万円だったところ、実際には2億4000万円を支給したため、差額の8000万円について利益準備金からの取り崩しがなされたためです。
M&Aによる買手会社への影響
一方、B社については、A社株式の評価額が取得価格である4億1000万円となり、B社への貸付金が6億円となりますので、現金が10億1000万円流出し、その代り株式4億1000万円と貸付金6億円を取得したことになります。
株式4億1000万円 / 現金10億1000万円
貸付金6億円
B社としては、M&Aの資金全額を内部資金の利用で賄うことは多くなく、ほとんどのケースでは金融機関からの借入で賄っていると思われます。例えば、B社が金融機関から10億円の借入を行っている場合のB社のバランスシートは次のようになります(B社のバランスシートもイメージを理解するために区切りのいい数字としています)。
(M&Aの前の段階)
流動資産50億円 流動負債50億円
固定資産100億円 固定負債100億円
その他資産20億円 資本の部20億円
資産合計170億円 負債・資本合計170億円
(M&Aの後の段階)
流動資産50億円 流動負債50億円
固定資産106億円 固定負債110億円
その他資産24億円 資本の部20億円
資産合計180億円 負債・資本合計180億円
B社にとって子会社貸付金は返済期間が長期となりますので固定資産となり、子会社株式については投資・その他の資産のうち、子会社・関係会社株式となります。
以上は中小企業におけるM&Aで考慮すべき事項を抽象化し、分かりやすく説明したものですが、A社の代表者にとっても、B社にとっても非常に魅力的なディールが行われたことになります。会社によっては80歳を過ぎた代表者が現役でバリバリと仕事をされている方も多くいらっしゃいますが、会社は永続性が求められる一方、経営者はいつまでも働けるわけではありませんから、自らやめ時を判断せざるを得ないことになります。従業員の雇用の確保や地域社会における会社の役割を考えた場合、代表者の決断が周りの人たちに大きな影響を与えるものであることを検討いただければと思います。